松木 傑  

 2008年3月26日成田を出て同日夕方、ヤンゴンに到着しました。アジア学院の研修を受けたミヤンマー・バプテスト・コンベンションの会長をされているシャカワエイ牧師が出迎えてくださり、翌日は2つの農業研修センターを訪問しました。一つのセンターは現在使用されていませんが、研修が充実して成功するに従い政府が、研修会を開くと1回ごとに負担金を請求して金額をどんどん増額して、結果として閉鎖に追い込まれたためです。コンベンションの現在の目標は、教会数を1500から2000まで増やすことだということです。現在会員は35万人だそうです。翌日、Heho空港まで1時間、ミャーさんが出迎えてくれて、それから凸凹道を5時間かけて、Kaya州の州 Laikawに到着しました。ミャーさんが属するKaya Baptist Assocciationは1983年に元のバプテストから分かれて伝道を開始した教会です。Kayaの中でさらに方言が分けれているとのことで、分かれて協会を作ったそうです。現在、40教会、会員は4千人です。

  30日の礼拝は、事務局長の Kyaw Htoo牧師の教会に出席しました。4月1日からはじまる伝道25年の記念会に集まった青年たちも参加して礼拝堂は一杯でした。あとで聞きますと会員の多さにかかわらず教会の財政は逼迫して、事務局関係スタッフ20名の年間予算は6千ドル(60万円)ほどで、ミャーさんの給料が500円でボランティアで働いているというのが理解できました。公務員の月給は30ドル、ヤンゴンのコンベンションのスタッフは25ドルと言っていました。Kaya州は、外国人が入れない地域で、何度も宣教師が入国(入州)を申し出たが拒否されているそうで、私が最初の牧師であると紹介されました。

KNPLFが運営するコーヒー園。後ろの山の麓で第二次大戦中に日本軍と戦闘があり、村人7名が戦死した。

KNPLFが運営するコーヒー園。後ろの山の麓で第二次大戦中に日本軍と戦闘があり、村人7名が戦死した。

  今回は私がフェアトレードでコーヒーを取引していることをミャーさんが強調して入州が許されたようです。従って参加を予定していた教会行事には参加しないで、コーヒー産地をKarenni Nationality Peoples Libration Front(KNPLF)の副議長の案内で、銃をもった兵士に護衛されて訪問しました。Kayaには7つの政治的組織があって、5つはミヤンマー政府と妥協(平和合意して、戦争を停止)して共存しています。Frontはそのなかの最大グループで、まだ武装解除していなく、みずからの占領地域を治めているようで、広大な地域にコーヒーを栽培しています。2つのグループは戦争停止に合意しないで、ジャングル地帯で争っています。その地域の人たちが、難民となってタイ国境の難民キャンプに住んでいます。カレン族のほか、シャン族も戦っています。

  カレン族の中もさらに分かれていて、今回ずっと同行してくださったMyar Doo Myarsさんはチェンマイのパヤップ大学で言語学を学び、カレン語から現地の言語にさらに翻訳して、新約聖書の翻訳が完成し、記念行事で献呈するそうです。アメリカ人の言語学者とチームを組んで1節1節翻訳しているそうです。
  今回の訪問の目的は、ミャーさんの夢である中、高学校に行けない山岳地域の子供たちのために学生寮をつくるための準備で、購入予定の土地を見ることと、この計画を実行するための委員会を設置してもらいその方たちにお会いして計画について話し合うためでした。
その目的は十分に果たすことができ、感謝しています。今後が楽しみです。

 

2008年現在の学生寮、男女80名収容(ミャンマーカヤ州)

2008年現在の学生寮、男女80名収容

取得した20エーカー(2万4千坪)の土地(ミャンマーカヤ州)

取得した20エーカー(2万4千坪)の土地

用地の取得、寮の運営に当たるメンバー(ミャンマーカヤ州)

用地の取得、寮の運営に当たるメンバー