フェアトレード商品

フェアトレード・サッカーボールが生まれた由来

わかちあいプロジェクト 代表 松木傑 (元・日本福音ルーテル聖パウロ教会牧師)

1995年4月26日から東京晴海の国際展示場で見本市があるので会いたいと、フェアトレードのネットワークでこちらを知ってタンザニアのAMKA (スワヒリ語で“目覚める”という意味)のMateeさんから連絡が入りました。日本政府の支援でタンザニア商品を促進するためにブースをだしていました。その後、展示場を見て歩いているとパキスタンの業者がサッカーボールのブースをだしており、値段を聞いて、その安さにびっくりしました。
前年の夏、ケニヤのカクマ難民キャンプに青年2名を派遣しました。サッカーが大変盛んであるが、ボールがなくで、ぼろ布でボールを作って使っているということを知り、ボールを購入して寄付する予定にしていました。8月には、ボランティアを募集して、カクマに出かけることを計画していましたので、丁度、飛行機が、パキスタンを経由してケニヤに行くこともあって、Loftyという業者をシアルコットに尋ねて、製造の様子を知りたいと思いました。7月24日夜、イスラマバードで一泊してLoftyのLoneさんの車で、シアルコットに向かいました。サッカーが好きな次男の淳(すなお)を連れていました。シアルコットが近づくとLoneさんが淳に写真がないかといい、パスポート用の予備の写真を渡しました。何のためであるか私たちには理解できませんでした。
翌日、淳の写真とSUNAOと印刷されたボール2個を、プレゼントされて大喜びしました。 ボールはシルククリーンで印刷されるため、簡単に少量から製作できるのです。Loneさんのところに滞在中、世界のサッカーボールの、70%以上が、シアルコットで作られていることを知りました。またそのとき、LoneさんはFIFAの代理店からFIFAのマークの使用料の値上げを求められていました。FIFAの基準に従ってボールをつくる人たちと、ただマークを売るだけの立場のFIFAについて考えさせられました。(その代理店は、1998年フランスワールドカップのとき倒産しましたが)。そこで、「生産者のためのフェアトレードマークという考え」が生まれました。
私は帰国後、さっそくFLOの前身のトランスフェアインターナショナルのマルチン・クンツ事務局長に、フェアトレード・サッカーボールの提案をいたしました。加盟団体のドイツの反対もあってすぐに実現しませんでしたが、1997年クンツ氏がLoneさんや他の業者を訪問し、調査し、現在のフェアトレード基準をつくって、最初に暫定のマークを使ってイタリア生協で販売開始されました。認証マーク(FLO)をつけることに合意するまで時間がかかり、ようやく2003年に合意し、2004年に日本で最初にASPIROというブランド名で発売を始めています。その後北米、ヨーロッパ、韓国とフェアトレードボールは広がっています。

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