スマトラ事務所、ニアス島での救援活動(2005.6.14)
わかちあいプロジェクト、スマトラ事務所(2001年から北スマトラ・タルツングに事務所設置して、農村開発と古着支援による奨学金支給に取り組んでいる現地NGOです。) がアチェとニアス島の救援活動に参加しました。
また、2005年6月14日に再度、ニアス島での古着支援に取組みました。
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インド西部地震復旧支援(2001.1.26~)
2001年1月26日午前8時46分、インド西部グラジャート州においてM7.9の強い地震が発生しました。わかちあいプロジェクトは、土木・建築技術者の派遣、小学校建設に取り組みました。
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インド西部地震復旧支援近況報告(2002.12.23) |
I had been in Gujarat visiting the Earth Response project of LWSI including Lunava. In all the six villages, where LWSI had undertaken reconstruction projects, the hardware part of the works have almost completed. The school building funded by Waqkachiai Project at Lunava is progressing very well. Please see the attached two photographs depecting the progress of work at Lunava school site. |
インド西部地震復旧、3名の土木・建築技術者を派遣しました。 |
わかちあいプロジェクトでは、現地で救援活動にあたっているNGO(LWS)に協力するため、石川博之氏(建築、47才)、藤田大氏(土木、27才)、鈴木昇氏(土木、25才、写真右から)の3名のボランティアを2月末に派遣しました。 LWS(ルーテル世界奉仕部)インド事務所は、地震直後から被災者5000名のため、毛布や雨露をしのぐためのプラスチックシートを支給し、現在はグジャラート州のカチン郡の20の村びと2万家族、10万人のために援助を拡大しています。本格的な復旧活動に取りかかるまでに少なくとも6ケ月はかかると思われます。 |
インド・オリッサ州 サイクロン被災地復興支援レポート(ボランティア志釜研作氏)
1999年10月29、30日、スーパーサイクロンがインド・オリッサ州10地方を直撃し、1500万人に影響を与え、300万もの家族が家を失いました。死者数は5万人を越すとも言われています。2000年、古着支援と資金支援を行い、ボランティア志釜研作氏を派遣しました。
インド・オリッサ滞在の目的 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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オリッサ情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
熱帯気候であるオリッサ州はインド東海岸沿いに位置しており、面積の3分の1を森林が占める。注目を浴びているところは州都ブバネーシュワルの寺院郡、ヒンドゥー教4大聖地の1つであるプリー、そしてコナラークの世界遺産にも登録されているヒンドゥー教の太陽寺院とも呼ばれるスーリヤ寺院で世界各国からの観光客が足を運んでいる。ブバネーシュワルから海岸平野にかけては田や畑が広がり静かでゆったりとした風景が続いている。オリッサ州の収入の半分以上は農業によるもので、地方では80%以上の人々が農業に従事している。米の生産は全インドの10分の1に及び、他にも豆類、ジュート、さとうきび、根茎をカレー粉、染料などに使うウコン(インド産ショウガ科)、ココナッツなども貴重な収入源として栽培されている。2年前に旱魃のために4000人が亡くなった全インドで2番目に貧しいオリッサ州は今回のサイクロンで被害は大幅に拡大した。 |
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州都:ブバネーシュワル 面積:155,707sq.km(日本の約2/5) 人口:31,659,736人 村の数:51,057 (男):16,065,146人 (女):15,595,590人 (全インドの4%) |
都市部人口:13,4% 地方人口:86,6% 識字率:49,1% 言語:オリヤー語 (1991年統計による) |
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ブリーについて | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
プリーには2つの顔がある。まず第1はプリーの名をインド中に知れ渡らせているヒンドゥー巡礼地としての顔。この街ができる前からあったとも言われているジャガンナート寺院は元はと言えばこの辺りの土着神。やがてヴィシュヌ(慈愛の神として知られ、心からこの神に信仰を捧げる者には恩寵を施すと信じられている。神に熱烈な親愛を捧げその恩寵として解脱できると信じられるバクティと呼ばれる信仰形態の中心的神格でもある。バクティ思想は現在にいたるまで広くインド人の心を捉えている)の化身、さらには「宇宙の主」とも呼ばれる高次の神格に昇格し全インドから巡礼を浴びている。まさにプリーはジャガンナート寺院あっての街である。プリーのもう一つの顔は白い砂浜が広がる海岸の保養地。大都会の喧騒を逃れてきた人たちが日光と潮風を体中に浴びている。波打ち際が金色に染まる頃オリッサの家族連れがどこまでも浜を歩いていく。 |
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わかちあいプロジェクトの支援金50万円の使われ道 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
支援先 | プリー地方ニマパラブロック、トリアバンダ村 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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古着について | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
私がオリッサに滞在している間に、わかちあいプロジェクトが送った古着が現地に到着し支給を手伝う予定であったが残念ながら間に合わなかった。9月14日現在まだオリッサには届いておらず村人には渡っていないとのこと。R.N.Patiが一度この件に関して8月中旬にカルカッタに足を運び役人と交渉し運送してくれることになったが、数日後に運送できないとの返事を受ける。「古着なんてどうするんだ?」「どうして新品ではなくて古着なんだ?」などの質問をぶつけてきてPatiが毎日電話でカルカッタの役人とけんかしている状態であった。いつオリッサに到着するかは全くわからない。1日でも早く古着が村人の元に届き、少しでも彼らの生活にプラスになることを願いたい。 |
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ニマパラブロックとCTRD | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
プリー地域にあるニマパラブロックは、ブバネーシュワルから40km離れているところに位置している貧しい村々の集まりで低カースト層が多く集中している。全人口の18%以上をこのハリジャンが占めている。識字率も大変低く男性34%女性18,5%。田や畑所有者の割合が全体の約60%、その他の農場労働者の割合は約28%となっている。仕事をもっていない若者の数は全労働人口の12%に上る。1ヶ月間1家族あたり(7,8人)約750ルピーで生活を営まなければならない(大きな街の場合1人あたり約2000ルピーとその差は歴然)。村では一番安い米1kg12ルピーで売られていた。 |
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ニマパラブロックでの生活 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月5日~8月17日、この期間中だいたい1日1つの村と言う割合で、CTRDのメンバーであるディリップ・マハパトロとオンジョナ・ポレイと一緒にニマパラブロックの村の視察を行った。それぞれの村でSHGメンバーとの話し合いを持った。彼女らは英語が話せないのでディリップの通訳を必要とした。主な内容はサイクロンがどのような被害を村に与えたのか、サイクロンが過ぎ去って9ヶ月経った今現在村には何が必要なのか、この2つである。辺りにはサイクロンによって吹き飛ばされた家の跡や倒された大きな木が残っており、いかにサイクロンが巨大であったのか思い知らされた。特にヤシの木が並んで何本も倒れているのを見たときはとても驚いた。7つの村を訪問したわけだが、どこの村でも必要物質として食料・衣服・医療薬・乾季にも利用できる掘り抜き井戸を挙げていた。雨季は問題ないのだが乾季になると50℃を超える暑い日が続き、全く雨が降らないこの地域ではとりわけポンプつきの井戸を切に欲しがっていた。村での生活最終日にトリアバンダ村と言うわかちあいプロジェクトが支援した村を見ることが出来たのだが、村人が一番喜んでいたのはこのポンプつきの井戸の設置であった。ちょうど田にこの井戸を使って水を流し込んでいる作業をしていたのだが、勢いよく流れ出る水を前に大助かりの様子だった。 今年2月にカンボジアを訪れた私はあのカンボジアの村の印象が強く頭に残っていて、オリッサにいるときは常にカンボジアの様子と比較していた感じがする。そこで私が感じたことを何点か書き留めておこうと思う。私が自分の目で観た感じではオリッサの村はいい環境下に置かれていると言えるところが幾つかある。まず電気が使えること。これは非常に大きな利点である。又ニマパラブロックは州都ブバネ-シュワルから観光地プリーに向かう比較的大きな道路に近い場所に位置しており、この道路沿いには小さな店が沢山並んでいるのである。屋台、郵便局、銀行、国際電話が可能な商店、床屋、バイク修理店、サリーを扱う服屋、靴屋。近いといっても7,8キロ離れている村もあるのだが、このようないわゆるマーケットがあることは大変恵まれている。確かに村人の生活は貧しいが、農作物を収穫できればここで売れるし、生活用品はここで一応ほぼ揃えられる。カンボジアの奥地とは随分違った様子が窺えた。 2:作業 |
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