わかちあいプロジェクト
難民支援 -エチオピア難民マラソンランナー支援-
エチオピア難民ランナー
1999年12月5日に開催された福岡国際マラソンに、エチオピア難民のアンバチョウを招き、大会出場をサポートしました。しかし、満足な練習ができなかったことから、はじめての国際大会で彼は完走することができませんでした。難民という身分ゆえに、出場を果たすまでには多くの障害にぶつかりました。彼の支援を してはじめて知ったこと、それは、「難民」という立場が いかに弱いかということ、私たちには想像もできないほどの屈辱や絶望を味わっているということでした。渡航に必要な書類一つ取得するにも、普通の人なら 10分と待たずに発行してもらえるところを、何ヶ月も通いつづけ嫌味を言われながらも交渉してようやく手に入れることができる、そんな精神的苦痛を味わう毎日でした。何度も絶望しかけましたが、それでも明日への希望を失わず、夢の実現に向けて走りつづけるアンバチョウの姿には多くの勇気をもらいました。難民という困難な状況の中でスポーツ選手として前に進んでいくためには、身体能力だけでなく、強靭な精神力をも持ち合わせていなければ挫折してしまうことでしょう。
その後のアンバチョウ
ランナープロフィール
アンバチョウ・アバテ・デジュネ選手 |
1999年の福岡マラソン大会前のアップの様子
(右:アンバチョウ)
左は、そのときの優勝者で、シドニー
オリンピック金メダルのアベラ選手
◆ 生年月日:1974年7月23日
◆ 性別:男性
◆ 国籍:エチオピア
◆ 身長:168cm
◆ 体重:56Kg
◆ フルマラソン自己記録:2時間22分42秒(1998年)
◆ ハーフマラソン自己記録:1時間5分45秒(1999年) |
1974年 |
エチオピアで生まれる。高校卒業まで陸上選手。 |
1991年 |
エチオピアのメンギスト政権が崩壊し、新政権が成立。
父親が前政権の要人だったため、父の巻き添えで投獄される。 |
1993年 |
一人でケニアに脱出。ケニア北部のカクマ難民キャンプに収容される。 |
1996年 |
砂漠地帯のカクマでは練習ができないため、自力でカクマを離れナイロビで暮らし始める。
バーでウエイターをしながら練習を再開。
ケニアのナショナルチームに加わったが、練習は主に一人きり。 |
1998年8月 |
日本のNGO「わかちあいプロジェクト」のボランティアスタッフとカクマ難民キャンプで知り合う。
オーストラリアでの競技に招待されるが、経済的理由とビザの関係で参加できず。 |
1999年1月 |
「わかちあいプロジェクト」に国際大会に参加するための支援要請をする。 |
7月 |
自費参加ながら福岡国際マラソンに参加可能との返事を日本陸上競技連盟より得る。 |
11月 |
国連難民高等弁務官事務所より海外渡航用旅行証明書が発行され、日本ビザを取得する。 |
12月5日 |
福岡国際マラソンに出場。足の痛みでゴールの手前約2キロの地点で途中棄権。
35キロ地点の記録は2時間3分54秒。 |
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その後のアンバチョウ |
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ラカウ・フィクレ・デルセ選手 |
◆ 生年月日:1970年5月22日
◆ 性別:男性
◆ 国籍:エチオピア
◆ フルマラソン自己記録:2時間19分35秒(1999年)
◆ ハーフマラソン自己記録:1時間9分18秒(1997年) |
1970年 |
エチオピアの田舎で生まれる。 祖国の英雄アベベ選手に憧れ、中学で陸上を始める。 |
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当時政権を握っていたメンギスツの反対勢力に加わっていていたと見なされ、兄弟と共に投獄される。身の危険を感じ、首都アジスアベバへ逃げる。 |
1991年 |
試験を受け、アジスアベバ大学へ。
しかしその頃メンギスツ政権が崩壊し、代わって樹立した新政権は、大学生を反政府側と見なしたため、多くの学生が身の危険を感じ、隣国ケニアに逃れ難民となる。ラカウも例外ではなかった。
まず、エチオピアとケニアとの国境沿いの町、モヤレで1ヶ月間保護され、その後ワルダ難民キャンプに収容される。 |
1993年 |
2年間のワルダでの避難生活のあと、国連難民高等弁務官事務所UNHCR)により再び移動させられ、カクマ難民キャンプへ移る。 |
1995年 |
半砂漠状態という劣悪な気候条件ではあったが、カクマの地で再び本格的にトレーニングを始め、UNHCRから短期間の旅行許可を得ながら、ナイロビやケニア国内でのレースにたびたび参加する。 |
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その後、生活の拠点をナイロビに移し、国連から保護が無くなってしまったため、乗合バスで集金係をするなどして、自分で生計を立てながらトレーニングを積む。 |
2000年 |
アンバチョウを通して「わかちあいプロジェクト」を知り、支援を要請する。 「わかちあいプロジェクト」がスポンサーとなり、2001年2月11日開催の東京国際マラソンに招待される。 |
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デビサ・トゥレ・グットゥ選手 |
◆生年月日:1970年1月1日
◆性別:男性
◆国籍:エチオピア
◆フルマラソン自己記録:2時間18分18秒(1999年)
◆10000m自己記録:27分50秒(2000年)
◆12km自己記録:36分20秒(2000年) |
1970年 |
オロモ人(エチオピアに多数ある民族の1つ)の家族に生まれる。
祖国の英雄アベベ選手に憧れて陸上選手を目指す。 |
1992年 |
現政権の議席から、オロモ人勢力OLF(オロモ解放戦線)が抜けて反政府側に回ったことで、政党の支持者であるオロモ人が政府に追われる。 |
8月 |
デビサと彼の父親も逮捕され、7ヶ月間拘束される。釈放されたあともたびたび警察に、オロモ人であるという理由のみで拘束される。
そのような生活の中でも、仕事をしながらトレーニングを積む。 |
1993年 |
このころからトレーニングに集中しはじめる。 |
1996年 |
世界記録保持者であったデンシモ選手が設立したアスレティッククラブに入会する。 |
1997年 |
10000mで国内6位の記録を出し、エチオピアのナショナルチームに加わる。 |
1997年末 |
エチオピアとエリトリア間の紛争が始まる。オロモ人勢力OLFがエリトリア側を支援したことから、オロモ人が再びエチオピア政権に狙われ始める。 |
12月25日 |
父親が逮捕される。デビサ本人にも逮捕の危機が迫り、1人でケニアとの国境の町、モヤレへ向って逃げる。 |
1998年2月 |
モヤレで家族と落ち合うことができ、エチオピアを脱出しケニアに逃げる。 |
2000年 |
アンバチョウを通して「わかちあいプロジェクト」を知り、支援を要請。
2001年2月11日開催の東京国際マラソンに招待される。 |
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わかちあいプロジェクトの難民支援プロジェクト
わかちあいプロジェクトは、衣類や食料など生活に必要な物資の支援にはじまり、
長期的な視点から教育、文化活動、スポーツなどへも支援を行っています。