私の訪れたタンザニア・キボンド地域は、多くのブルンジ難民がここ数十年にわたって国内の内戦を逃れてやってくる地域である。とくに1993年のブルンジのクーデター以後今日に至るまで、ブルンジ難民は続々流入している。彼らを収容するためUNHCRはこの地区だけでも5つのキャンプを建設、運営している。一番古い1993年に建設されたカネンブワキャンプ(約2万人)に始まりムクグワキャンプ(4万人)、ムテンデリキャンプ(4万人)、カラゴキャンプ(4万人以上)、そしてムクグワキャンプ(1200人)である。
前者の4キャンプにはブルンジから内戦を逃れてきたブルンジ人のフツ族が収容されている。少人数のムクグワは特殊キャンプであり、フツ族とツチ族の夫婦やその子供、またコンゴ、ルワンダからの難民、他の問題があって他のキャンプに住むべきでない難民が収容されている。
なお、どのキャンプももういっぱいで、99年12月にカラゴキャンプが新設された。現在もなお日々続々と難民はやってくるため既にカラゴキャンプの半分は埋まっている。
<タンザニア流入からキャンプ内の生活が始まるまで>
ブルンジから逃れてきた難民はタンザニア国境にてタンザニア軍に捉えられUNHCRに引き渡される。UNHCRは「名前、年齢、家族のメンバー、出身地、国を離れねばならなかった理由」等をそこで記録しトラックで彼らをキャンプに移送する。キャンプの登録所で再びNGOの登録を済ませ、子供はワクチンを打ち、配給カードと少々の生活用品を受け取る。その後、またトラックに乗せられ住処となる区画に運ばれる。区画は10m×20mで、林の中の草ぼうぼうの荒地である。何もない。そこが住処だとしてトラックから降ろされ彼等のキャンプ生活が始まるのである。
家もまきも何もないところから彼らは呆然としながらも生活を始め、しばらくのうちにわらや土の家を作りそこに住むようになる。5年も住んでいる者(住まざるを得なかった者)は日干し煉瓦の家を建てていることもある。
家の周りの小さなスペースを耕作して食糧配給の足りない分を補い、それをキャンプ内のマーケットに売りに出している。少し豊かな者は街で物を仕入れて店を出して販売している。数万人もの人間が狭いキャンプ内に住んでいるので、そこは、みすぼらしいながらの「街」となる。
<キャンプ内の施設>
@ 学校
数年もそこで生活していれば子供もそこで生まれ、育っていく。UNHCR・UNICEFの支援により各キャンプには小学校が、そして一番古いキャンプたるカネンブワにはセカンダリースクール(日本の中高にあたる)もある。また、カネンブワには図書館もあり20畳くらいの部屋に本が並んでいた。他の4キャンプでもこれから図書館を建築を始めたところであった。
A 病院
各キャンプ一つは病院がありNGOが働いている。入院施設もあるが問題は薬不足・施設不足とのことだった。一つのベットに3人の子供とその付き添いの母親がちぢこまって寝ていた。栄養失調のものは5歳以下であれば、病院で栄養剤をもらえることになっている。しかし、5歳をこえると病院に行っても追い返されるということであった。主たる重病人はマラリア患者で命を落とすものも多いという。
B マーケット
難民が運営するマーケットが各キャンプに存在し、キャンプの中心となる。タンザニアのキボンド地区にも負けない(キボンド地区はタンザニアで一番の貧困地区であるが)品揃えであり、レストランもあり、人の集まる夕方には活気があふれる。5年もキャンプ内にいると貧富の差がはっきりあらわれる。
C 運営機関
タンザニア政府のMHA(Ministry of Home Affairs)、UNHCR、そして各々NGOがオフィスをキャンプ内に置く。キボンドの街にヘッドオフィスをおき、その実働部隊が各キャンプにオフィスを構えるのである。難民がキャンプ内の外出許可を受けるときにMHAのオフィスに行き、全般的な問題がある時にはUNHCRのオフィスに行く。毎朝、UNHCRのオフィスは長蛇の列である。
<運営>
UNHCRが全体の指揮をとる。しかし実働部隊は世界各地からきているパートナーNGOが担当し、実際にUNHCRが動くのは他国移住(カナダ・アメリカが多い)など政治に絡むものや法律問題等に限られる。
私のお世話になったTCRSはキャンプ全体の運営をし、一部のキャンプでは学校運営もしていた。ほか、UNICEF、IRC、DRA、UMATI, etc…多くの団体が活動していた。(参考までにカラゴキャンプの各団体の運営の分担の表を添付しておく。)
多くのNGO,国連によって運営されているキャンプであるが、団体間の問題も絶えない。
まずNGO間では連絡を密に取れていない。各NGO同士の競争も激化している。例えば、食糧配給のカットの続く資金不足の中、新たに図書館が12件も建設されるところだった(本当は各キャンプに一つでよいのに)。どのNGOもイニシアチブを取りたがり、指揮官たるべきUNHCRは彼らに的確な指示を与えきれていない。難民が問題をNGOに訴えても複数のNGOが異なる結論を述べたりし、難民から「もっとNGO同士協力してくれ」との声があがったりもしている。