わかちあいプロジェクト

キボンド難民キャンプボランティア派遣 報告書

高校でのHUMAN RIGHTSの授業

10月2日(月)から10月13日(金)の2週間、キャンプの中にあるカネンブワ・セカンダリースクールの6年生(日本の高校三年生)で人権の授業を受け持った。CIVICS(公民とでも訳すか)の授業に位置付けられ、朝8時から2コマ(1コマ50分)もしくは3コマで、毎日教壇にたった。

きっかけ

「全ての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利との間において平等である。(世界人権宣言 第1条)」

日本でも弁護士を志し、国際人権NGOで活動してきた私は「世界人権宣言にある全ての人権を世界の全ての人において実現すること(アムネスティインターナショナルの理念同様)」を、夢、そして目標に据えている。

難民キャンプでは、食糧の配給や医療の整備等でUNHCRや各NGOの能力は限界に達し、表現の自由等の人権状況にまで配慮する余裕のあるものはいない。しかも、国連職員が難民を殴ったりするような状況まで耳にする始末である。

難民キャンプでできることなら何でもやってやる、それが法律や人権に直接関係なくともなにかできるならそれで構わないと思ってキャンプにやってきた私であったが、やはり自分の専門分野である法律や人権にかかわれるのならば、本望である。そして、その分野こそがもっとも得意とするところでもある。

何かできないかと最初の2週間で悩みに悩みぬいた結果考えついたのがこの、セカンダリースクールでの人権の授業であった。

セカンダリースクール・生徒達

5つあるキャンプのうち、一番古いカネンブワキャンプにのみ中等教育機関であるセカンダリースクールがある。Standard7からForm1,2,3….6まで、7学年が学んでいる。生徒数は約200人。各学年一クラス(Standard7のみ、今年は多くて2クラスだった)で、平均1クラスが25人で構成されている。

TCRSにより運営され、資金はUNHCRにより提供され、無料で通学できる。

私のもった6年生(Form6。以下6年生とする)のクラスには28人の生徒が登録されていたが、そのうち二人は校則で決められた学校環境の整備作業をサボったということで出席が禁じられていた。

平均年齢は24歳くらいであろうか。このセカンダリースクールは勉強をしたい者を広く受け入れている。自国ブルンジで戦争のために勉強が遅れた者、勉強を断念した者もここで学んでいる。6年生の私のクラスの最年長は57歳の男性であった。かれは27年ぶりに勉強を再開するということで「この記念すべき日にさよに会えてとてもうれしい」と最初の自己紹介で語ってくれた(ブルンジでは10月から一年度が始まる。私は新学期早々に授業をしたのである)。女の子は28人中3人のみ。アフリカでは料理も耕作もたきぎ拾いも、もちろん育児も全て女性の仕事であり、そのため、女の子は家事手伝いを求められる。親が女の子を積極的に学校に送らないという事実もある。キャンプ内のどこでも女性は忙しく働いていた。

6年生のクラスを持ったのはひとえに英語力の問題ゆえである。ブルンジでは母国語たるキルンディ語を皆が話すが、学校の授業は全てフランス語で行なわれる。よって、学校に行った人はフランス語も話す。さらに難民達はタンザニアで暮らさなくてはならないゆえタンザニアの公用語たるスワヒリ語を解する者も大変多い。そして、タンザニアのもう一つの公用語英語はかれらの第四言語にあたる。セカンダリースクールではこの4つの言語の授業があり5年生6年生になると4言語を話せるようになる。英語は第四言語ということで6年生全てが流暢に話すとまではいいがたいが、皆授業を理解する英語力は持っているということで6年生のみに授業することになったのである。

学校の問題点

セカンダリースクールの最後の学年である6年生は5月に卒業試験を受け、それにパスすると卒業が認められ、大学に応募する資格証書を受け取る。しかし、難民達はキャンプから外にでることはできず、キャンプ内に大学などあろうはずもない。セカンダリースクールを卒業するということは、またキャンプ内で一日中何もやることなしに過ごさねばならないということを意味する。先生方は5月の試験に向けて勉強するように生徒を励ましていたし、生徒達も勉学意欲はあるので勉強には励んでいたが、生徒自身は学校を卒業したい かというと複雑な心境であるという感じだった。

何度も何度も、「奨学金を手に入れてくれ」「何とかして大学に行かせてくれ」という生徒達の訴えを聞くことになった。

もっとも、セカンダリースクールに来て学んでいるものはかなり幸せな方であり、自分の人生に前向きな者である。

小学校にはほぼ全ての子供が進学するが、卒業はそのうち7分の1くらいであろうか。さらにセカンダリースクールに行けるのはごくわずかである(そもそも5つあるキャンプのうち一つにしかセカンダリはない)。家の手伝いで学校にこれなくなるものもいる。また、彼等はいつキャンプから出られるかわからず、ひょっとしたら一生この狭い8km×10kmのなかで過ごさねばならないかもしれない。今、数学を勉強しようと英語を勉強しようと、自分の将来にそれは全く役に立たないかもしれないのである。勉学意欲 を持つことですら困難だということであった。将来がない、夢も希望もない、というそんな状況の中で勉強を続けていくのは本当に大変なのだということを実感した。普段日本で生活しているときに「将来がある」ということのすばらしさというものを、ここまで考えたことは一度もなかった。

授業の方法・内容

授業は私が講義をし、随時みなの質問、意見を聞き私がそれに答えるという方法で進めていった(講義要綱参照)。質問・意見は絶えない。彼等の質問にあわせて授業の内容をどんどん変えていったので、毎日用意したテーマは常に半分くらいしか終わらなかった。また、こちらが考えていなかったところで議論が紛糾してそのテーマを別の日に取り上げることになることもあった。(例えば、マイノリティーの人権についてである。難民の彼らはマジョリティーだが歴史的に人権侵害されてきたフツ族である。マイノリティーを特別に保護するとする国際的な流れに対し彼らは疑問をもつ)

時に、「さよにブルンジの人権状況を教えなくっちゃ」と、率先して生徒の方から教壇に立ち生徒が1時間講義をしてくれたこともあった。日本の人権状況についても深く関心を持ち、例えば私が過労死についてはなすと「日本人は大学にもいけるし仕事にもつけるしお金もたくさん稼いで食べ物にも困らない。でも、幸せかと思ったら、仕事のしすぎで死んじゃう人がいるんだ…しあわせってなんなんだろう・・・。」等々興味深い反応が返ってきた。

また、日本に対して人権からはなれて「今、HIROSHIMAやNAGASAKIの人は普通に生活ができるのか」といった質問に答えることもあった。

2週目には今までの授業を応用して、生徒に5人のグループを組ませ討論をするという時間も設けた。

感想

人権について、平和な国日本で学び、教室の中の人権しか知らない私の授業が皆に受け入れられるか、不安だった。家族は皆殺され、自分も殺されそうになりながら命からがら隣の国に逃げてきて、その後、さらに5年以上もキャンプからでられず、食べるものも着るものもぎりぎりの状況で暮らしている彼らに、「人には移動の自由があります」とか「人は生きる権利があり、皆平等なのです」とかいっても、「だまれ!」「そういうんなら俺らにもその権利を保障しろ」とか言われたらどうしよう…と授業を始める前には恐れていた。

しかし、驚いたことに彼等の人権感覚は我々のものとは全く変わらなかった。

「いくら家族がツチ族に殺されても、僕らがツチ族を殺していては戦争は終わらないんだよね。みんな、生きる権利があるんだもんね」

「参政権がなくっちゃ自分達の国を自分達でよくすることはできないよね」

「表現の自由や移動の自由は人間にとって本当に大切だよね。」等々。

それを聞いて、心からほっとした。それは自分が自分の常識をもとに授業を継続できるという安心感のみではない。人権の大切さというものはこんな、日本からすれば地の果てといってもおかしくないようなところでもみんなが身にしみて感じていることであり、また何をもってしてでも擁護しなければならないものなのだと実感できたことによる安心感であった。

人権侵害の最たる被害者とともに時を過ごして、人権の重要性を実感できたこと、そして、彼らが自分の人権を手に入れるために人権という概念を少しでも伝えることができたこと、これが2週間の収穫であった。

「人権は全てのものに優先し、世界中のどんなものよりも守られねばならない。」

「人権にも制限はあるが、その制限も他の人権を理由とするものでなければならない」

これが、私が2週間に渡って彼らに伝えつづけたメッセージであった。

生徒の感想

彼らは本当に真剣に授業を聞いてくれ、たくさん発言してくれた。

以下に彼らが最後に感想として書いてくれたうれしいメッセージを載せる。

・I would like toa ask you if it will be possible to ontinue teaching until the end of this year?

・Excellent impression. I benefit this course because it brushes up my knowledge about human rights, and we exchange our experiences.

・You showed all of us how you love the refugees.

・I want you to continue to teach people in the world, particulary Burundians about human right. Then people will be able to resolve their problems.   etc…