夢だったんだろうか、あの3ヶ月は。
あまりにも日本の日常とかけ離れているタンザニア。帰国後3週間たった今でもタンザニアのことを思うと夢見ごこちになる。それにしても、なんて自分は幸福だし幸運なんだろう。こんな経験できる人はめったにいない。そんな満足感と、感謝の気持ちではちきれそうになる。本当に本当に貴重な体験をした。
難民のために何ができたか? おまえは何をやったか! これから何がやれるのか!
自分が無力であることはタンザニアに行く前もわかっていたし、今もそれは変わらない。
私がいて、戦争が終わるわけではなく、母と離れ離れになった子の母を見つけられるわけでもなく、一人の難民を大学にやれるわけでもない。私は小さな日本人の女の子にすぎない。
日本国内で「人権!人権!」と騒ぎ出し、ボランティア活動をはじめて7年が経った。
いつも人権だとか、国際的だとか、難民だとか口にはしているけれど、いったいそれが何なのかということはわかっていなかった。
そこまで、言い切ることが許されるならば、
「抽象的だったことが具体的になった。」
これが、一番この三ヶ月にぴったりくる表現である。
抽象的だった難民が具体的になり、抽象的だった国際人権が具体的になり、抽象的だった国連が、NGOが、抽象的だった国際貢献が具体的になった。価値観が変わったというのではない、ベクトルの方向が変わったというのではなく、今までとベクトルの方向が全く同じかというとそうでもない。
ただ、世界人権宣言の全世界での実現に向けて頑張る勇気を。
そのために世界で頑張っている人がいて、我々の活動を心から待ち望んでいる人がいる。
あきらめてはいけない、がんばろう。そんな気持ちを与えてくれた3ヶ月だった。
これから私がやるだろう人権活動を、タンザニアでブルンジで、多くの難民が友人が応援してくれるだろう。あきらめそうになる自分を叱咤激励してくれるだろう。
たとえ、古着を一枚送ることでもいい、なんだってやってやる、その気持ちを一生忘れずに、そしてがむしゃらになること。これを私を暖かく包んでくれた難民の彼らやタンザニア人のスタッフ、その他多くのこの体験を通じてお世話になった方たちへの猿田の誓いとします。
この機会を与えてくださった方々に感謝し、猿田を暖かく見守ってくださった方々に感謝します。
2000年11月21日(火)
猿田 佐世